田村セツコさん、北見隆さん、竹井千佳さんへのインタヴュー

本年最後の展覧会が終了しました。実際にお出かけ頂いた皆様、またSNSでご覧下さっていた方々へ心よりお礼申し上げます。皆様の元へ温かな灯をお届けできましたでしょうか?作者も作品も楽しいメッセージに溢れていたのでは、と思っております。三名の作家にインタビューを試みましたが、とても面白いお答えを頂きましたので皆様にご紹介させて頂きます!

右から:田村セツコ・イラストレーター、エッセイスト。 1950年代後半よりイラストレーターとして仕事を始め、1960年代には「りぼん」「なかよし」などで少女向けのおしゃれページを多数手がける。サンリオ発行の「いちご新聞」の連載エッセイは創刊の1975年から現在も続いている。 https://ameblo.jp/setsuko-tamura/

北見隆 ・ 1976年 武蔵野美術大学卒業 以後、イラストレーターとして、書籍の装画中心に活動 1997年 ブラチスラバ絵本原画ビエンナーレ金のりんご賞受賞。 現在、宝塚大学東京キャンパスイラストレーション分野教授。https://takashikitami.asablo.jp/blog/

竹井千佳・宇都宮市出身。イラストレーション青山塾イラストレーション科修了。07年イラストノート誌ノート展大賞。11年TIS公募大賞。書籍やポスター、テレビ番組など様々な媒体で活動。エンパイアエンターテイメントジャパン所属。 最近では、TBS「夢なら醒めないで」のスタジオデザインなど幅広く活躍している。 http://chikatakei.net/

Q. イルミネーション・・・・輝く星や街の灯など、キラキラ輝く思い出をひとつだけお話しいただけますか?
A. 田村セツコ:まだ新人の時、イラストレーターになる決意をして、勤めていたところをやめたけれど全然仕事がなくて。神保町の交差点で信号待ちをしながら悲しくなってしまって、涙ぐんでたのね。信号の赤と青のシグナルを見ていたら、わーっと滲んでつながったりはなれたり、まばたきするたびきれいで、思わず見とれてしまったのね。なんで涙ぐんでいたのかも忘れちゃうくらい。本当の話。

A.北見隆:人工的な物に対して、心底その美しさに感動するといったことはあまり無いのですが、この時期、夜の住宅街とか歩いていて、窓辺から見えるツリーを飾るささやかな電飾が点滅したりしていると、子供時代を思い出すと同時に、「あゝ、きっと子供のいる家庭なんだな。ここに幸あれ。」と、しみじみした気持ちになりほっと心が温まりますね。

A.竹井千佳:印象に残っているのはニューヨークのマンハッタンの夜景です。そしてブロードウェイ。何度か行ってますが、あの光を見るとワクワクします。星も見るのが好きです。昔、学生の頃に研修旅行的なもので福島の山の上に行きました。あの時見た星空は今まで見た中で1番綺麗でした。

Q. 特に好きな国や都市、風景や場所はありますか?良ければその理由も。
A. 田村セツコ:パリとインド。パリは、昔からあこがれ、ときめくところなんです。大人っぽくてしぶくておしゃれ。私の好きな詩があって、フランスびとは青柳 切らるるほどに生いたちて ますます枝に芽を吹きて いたごによりて強くなる <ピエール・ド・ロンサーヌ>。実際に行って幻滅する人もいるけど、私はそういったことはない。嫌いになりたくないですね。
インドは、天国と地獄すべてがそろっている。豪華なマハラジャの世界もあれば、下町の乞食の子達も。そういった子供たちの美しい瞳が忘れられないのね。お金持ち、貧しいとか関係なくボロボロの格好をしても瞳がキラキラ、きれいだなって思います。

A.北見隆:海外旅行に行っても風光明媚な田舎町より、ロンドンとかパリといった都会の方が東京と同じ空気感を感じ、帰ってきた気がしてホッとしたりもします。空気のきれいな田園も知らずに、東京だけで生まれ育った者の悲しさでしょうか。

A.竹井千佳:好きな国は日本です。いくつか外国に行って其々の良さはあるけれど、改めて日本は素晴らしい所がまだまだ沢山あるなと思いました。最近は名古屋と三重に縁があり、今年だけで両方とも3回は行きました。その土地で出会った方達のお陰で新参者ながら貴重な経験を沢山させてもらいました。京都も大好きです。

Q.生まれ変わったらつきたい職業は?
A. 田村セツコ:ピアニストとか、ダンサーとか色々あるけれど、結局最終的にはお医者さんかな。具合の悪い人に興味があるんです。この間、塩見三省さんという役者さんとEテレで対談したんですけれど、彼は10年も大病をわずらわれてね。彼を見ていてヒーローという言葉が浮かびました。ステッキを使ってヨロヨロと歩かれているのにかっこいいの。美しくも見えました。俳優さんだからかな?その感動が自分でびっくり。健康な人が持っていない、深みと豊かさを感じました。少年のように純粋で素敵だったのよ。
お医者さんになりたいと思ったのは、具合のわるい人のキャラに合う医療、お薬処方をしたいと思ったの。オリジナリティのある医療。そういうお医者さんになれたら素敵だなーって思って。みんなちがうでしょう?この人には何が必要か、耳を引っ張るとか、鼻によもぎを突っ込むとか(笑)音楽もいいわね。そういう、あやしいお医者さんになりたいなと思っています。

A.北見隆:一瞬、植木職人とか浮かびましたが、屋外でのハードで地道な仕事で、とても僕には無理そうですね。結局は何かを作る職業かなとは思います。学生時代は浦山桐郎先生の映像ゼミに所属していたので、実写であれアニメーションであれ、映像に対する関心は今でもあります。8mm映画で自分のイメージ通りに他人に演じてもらう快感や、編集作業の楽しさは忘れられません。でも今はフィルムの時代じゃ無いからなぁ、古物商あたりが向いているのかも😔
どれも質問の明確な答えになっていなくてすみません。

A.竹井千佳:結局絵を描いているような気がします。
それか地に足の付いた職業について社会を作っていくことに貢献したいです。

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